2013年7月9日火曜日

とはいうものの共産党の躍進には不吉な思いを抱かずにはいられない

すでにして旧聞の類になるが、都議会選での共産党の躍進は、日本にはまだ政治に理性と知性を求める層が一定以上存在しているという証であると、ささやかな希望を感じたのは偽らざる本音である。

しかし、とはいうものの、それとは裏腹に不吉な思いを抱かずにはいられないという部分もある。

一方で、イギリスにとって、ルール占領は好ましい行動でなかった。イギリスは賠償問題の解決のための専門家委員会設置を提案し、最大の債権国アメリカの賛同を得た。二大国の前にはフランスも賛成せざるを得ず、1923年12月にチャールズ・ドーズを委員長とするドーズ委員会が設置された。ドーズ委員会は1924年4月に「ドーズ案」を作成し、8月16日にドイツも受諾した。これはドイツに8億マルクの借款を与え、一年あたりの支払い金額も緩和するものであった。国家人民党はこの案を「第二のヴェルサイユ条約」として批判し、1924年5月の国会議員選挙では国家人民党をはじめとする右派、さらに共産党が躍進した。国会は機能不全に陥り、12月には再び国会選挙が行われた。ドーズ案の受け入れ後に景気は好転し、失業者もほとんど消滅しており[5]、ルール占領も解除された事で極右と極左は退潮した。しかし連立交渉はうまくいかず、マルクス首相は12月15日に辞職、翌1925年1月15日にハンス・ルター内閣が成立するまで議会は空転した。
Wikipedia: ヴァイマル共和政 
 一方不景気を背景に国民は再びヴァイマル共和政を否定するようになり、ナチ党や共産党のような反ヴァイマル共和政政党がますます躍進することになった。 1930年の帝国議会選挙では社民党が第一党を確保したものの、ナチ党が第二党、共産党が第三党となり、それ以外の穏健政党は軒並み没落した。特にナチ党 の躍進ぶりは著しく、1932年7月の帝国議会選挙ではナチ党は社民党を追い抜いて第一党の地位を確立した。
Wikipedia: ドイツ社会民主主義 

ナチス台頭前夜のドイツにおいて、ナチスとともに共産党が躍進したという事実はご承知の方も多いであろう。 自民党が大勝し共産党が躍進する現代の政治状況は、なにかいろいろ重なるところがあっていやな感じがする。

まあ、とはいえ心配ばかりしてもはじまらん。なるようにしかならないのが人生ちゅうもんやし。今のわしの懐具合では海外脱出もままならんしのう。参院選の行方を見つめ、事の成り行きをよくよく考えるしかないわな。

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